ひとりぼっち
「オマエ・・・」
転んだままの僕を指差して間抜けと言ったほうが近い表情で僕の顔を覗き込んでいるのはそう、
あの氷帝の忍足侑士その人だった。相変わらず遊び人の手塚といった具合の風貌。
今は一番見たくない顔、手塚にそっくりだ。
「青学の不二やんか。久しぶりやな〜」
ニヤっと策士特有の笑みを浮かべて忍足は僕に手を差し伸べてきた。
「ホラ、立ちぃ。悪かったな」
差し伸べられた手がどうも気に食わなくてパシっと音をたてて振り払った。
彼の笑みは僕を不快にさせる。全て見透かされているような気がして腹が立つ。
かつて手塚を振り向かせるために彼を使ったこともある。
それくらい世話になってる本来ならにこやかに挨拶を交わすべき相手なのに、何故か腹が立って仕方がなかった。
「一人で立てるよ」
すっと立ち上がって制服から埃を払う。僕の身体にまとわりつく嫌な気分を振り払うかのように。
埃を振り払いながら伏目がちにしていた不二の目を縁取る睫毛は
朝露に濡れた植物のようにしっとりとしていたのを目の当たりにした忍足は一瞬にして事情を悟り、
今こそ絶好のチャンスといわんばかりに一人静かに微笑み、
不二の目線まで視線を落とし、そっと不二の顎に手をかけた。
「不二・・・」
「え?」
くいっと手に力をこめ、不二の顔を間近に寄せる。
不二の薄青の瞳に忍足の眼鏡に映った自分が飼い主に捨てられた仔猫のような酷く惨めなものだった。
薄青の瞳は夜空が色褪せたように感じられ、そこに映る感情は憎しみと怒り、そして悲しみだけだった。
不二の顎を掴んで引き寄せた忍足の紫暗の瞳にはなにかに絶望を抱き傷付いた薄い空色の見開かれた瞳が映し出され、
一時たりとも瞳を逸らすことなく深い闇にも似た紫の瞳を見つめていた。
「オマエ、捨て猫みたいな顔してんで?」
ふいに真実を言い当てられた不二は一瞬にして顔を赤くする。
そしてそのように素直な反応をしてしまった自分を恥じ、更に赤面していく自分の頬の体温を感じた。
なんで僕がコイツにいわれたことで赤面なんかしなきゃいけないんだと
忍足に対する新たな感情が芽生えてきた。怒り、である。
「ほっといて」
ずっと顎にかけられていた手を軽く払い、
手負いの獣のような敵意が満ちた一瞥を送りそのまま踵を返してその場を立ち去ろうとすると、
クイと手を引っ張られ半ば強引に忍足に振り向かされた。
「オレ、捨て猫は拾わずにいられへんねん」
掴んだ腕を更に強引に引き寄せ、クルリと不二を舞わせてすっぽり腕の中にしまいこんだ。
「捨て猫はこうやってだきしめてやるのが一番ええねん」
きゅっと腕の中で不二を抱え、ゆっくり薄茶の柔らかい髪の毛を撫でる。
髪を梳くように心を解いていく。
忍足の体温は不二にとって心地よく、久方ぶりに人の温かさを実感していた。
人の体とはこうも温かかったものなのかと。
気づくとハラリハラリと花弁が舞うような音を立てて
自分の双眸から塩気のある透明な水が流れ出ているのをそれが頬に伝う感覚によって気づかされた。
自分は泣いているのだと。
頭1つ分不二より背の高い忍足は不二が自分に気づかれないように涙を流しているのを優しく静かに見下ろしていた。
忍足の制服のベストから染みて肌に不二の涙が感じられるほど不二は忍足の胸の中で泣いていた。
「大丈夫やからな・・・」
不二に話しかけるわけでもなく忍足は呟き、再び不二の髪の毛を撫で始める。
「・・・」
泣きはらした瞳で不二は忍足を見上げる。
真っ赤に充血した瞳は焦点があっているかすらもあやしい。
しかし、不二は泣きすぎて我に返るどころか錯乱状態におかれていた。
頭が混乱していて、自分が今何処にいるのか、幾つなのかそれすらも忘れてしまうほど不二は泣いていた。
見上げられた瞳があまりに哀れに感じられた。
冗談でいったはずの「捨て猫」がまさに今の不二を形容するに一番ふさわしい言葉になるとは・・・。
そっと不二が忍足の胸を押し返し、ふらふらと元来た道に戻っていった。
時折、鼻をすする音が暗闇から聞こえてくるから不二は泣きながら歩いているのだろう。
「しょうがない奴やな・・・」
不二の後ろ5メートル程距離をとって忍足は不二の後についていく。
何故か心配だった。不二を今ここで一人にすることがとても危ないような気がしてならなかった。
確かに不二はフラフラとした足取りで実に危なっかしく右に左に歩いていた。
幾つ目かの角を曲がったところで不二が忍足を待ち受けていた。
角を曲がった瞬間、不二がイキナリ目の前に立ってたのだからいくら忍足でも驚く。
「なにしとんのや!?」
素っ頓狂な声を上げた忍足を、不二はまだ夢見心地な瞳で見上げ、
すっと手をあげ、一件の洋風な豪邸、というには微妙だが、民家というには豪華すぎる家を指差した。
「僕の家。今日、みんないないんだ」
不二の言いたいことが判った忍足はニヤリ、とまたしても策士特有の微笑みを浮かべ、不二を見下ろした。
「ほな、お邪魔させていただきましょうかね」
END
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