手塚が、九州へ発つ。
寂しい、それもあるだろうが、今明らかにそれとは違う空気が流れていた。ちろり、と菊丸が乾を見やる。それに気付いた乾もきまりが悪そうに口元に笑顔を浮かべた。
全員の意識にある言葉は、『またか』。
しばらく会えなくなるというのに、今日もまた喧嘩か、と。
笑顔には笑顔だが、一瞬たりとも手塚を見ようとしない不二と、それにもかかわらず表情など変えはしない手塚の座っている席。その間は、2席分が空いている。本来ならばそこにはおそらく菊丸と乾が来ていたのであろう。ただ、うっかり彼らは椅子に座る際出遅れてしまった。おかげでその間に座るわけにもいかなく、菊丸は皆とは少し離れたところへ、乾は不二の横に立った。他の面々が恨めしい。
どうすればこの不穏な空気の流れている手塚と不二の間に座ることができるというのだろうか?別に何か起きると言うわけでもないのに、そこには何だか電気が通っているように感じる。
「また喧嘩かな?」
「確率的には99%だね。理由もせいぜい手塚が不二に九州へ行くことを直前まで黙っていたんじゃないか?」
「やっぱり・・・」
この喧嘩の絶えない恋人同士のせいで、すっかり部員には目で会話できる能力が身についてしまった。今のは空気を振動させて会話したのではない。目での会話である。
(仲良く、すればいいのに・・・)
おいかけっこしましょ
まだ真夏でもないのに、太陽はまるで大きな炎のように大地を照りつける。光が反射した空港のアスファルトは大気の温度をさらに上昇させ、体はすでに限界を通り越している。
「暑い・・・何コレ・・・」
白皙の少年はつぶやいた。九州とはここまで暑いものなのか。東京も暑いが、蒸し暑いと言うものだし、この季節ではまだそれほど気温も高くは無い。
それなのにここはなんと暑いことか。動いたわけでもないのに全身から汗がにじみ出てくるのが分かる。
「とにかくタクシー・・・さがさないと」
ふらふらとおぼつかない足取りで空港の出口付近でタクシー乗り場へと歩きだす。
日本でいう南国に値するその地で、少年は明らかにその地のものではないと分かる。その真っ白な肌は、この地では奇跡としかいいようがないほどに透き通っていた。
灼熱の土地には似合わない、人目を引く美少年だった。
只今PM5時半。空はまだまだ明るく燃えるような太陽は地球を照り付けている。手塚はやりかけの数学の問題集をぱたりと閉じると教室の窓際へ寄った。外には下校する生徒がまばらに見える。部活帰りなのだろうか?テニスバッグを持った少女たちが見える。しばらくテニスもできないこの身としては少々うらやましいものがある。
この教室の生徒は真面目だ、手塚はそう思った。青学であれば放課後など誰もいないはずなのだが、この時間になっても自分の転校先であるこのクラスの・・・とくに女子は10人程度残って学校で学習している。たしかに学校はクーラーが効いているので勉強には最適ではあるが、同じ年の学生であれば、どんなに受験生であるとは言えどはやく自宅へ帰りたいだろうし、それでなくとも放課後どこかへ遊びに行ったり塾へ行ったりとあるだろう。感心だ、そう手塚は思う。
しかし何のことは無い。手塚自身気付いていないだけで、実はクラスメイトの少女たちは手塚と時間を共有したくて教室にいるだけで、ろくに勉強などしていないのである。その証拠に5分に1回、誰かしら手塚に問題を教えてもらいにくる。手塚と言う男はそれは整った容姿をしていた。眼鏡の奥のその鋭い視線が彼の冷静さを引き出し、より落ち着いた印象に見せている。同じ年の男であるとはなかなか思いがたい。
手塚が席について、もう1時間勉強をしようとしたときだった。
ザァっとドアを引く音がしたかと思うと、私服の少女が教室を覗き込む。
「あ、いた」
真っ白な肌に金茶の髪。目は晴天の空。思い起こされるのは青と白のコントラストのジャージに身を包み、小柄なその体格のどこからそんな技術がでてくるのかと思われるほどの鮮やかな技をテニスコート内で披露してくれる少女のような少年。怒ったときの射殺さんばかりな瞳と、さらに気に入らない奴には骨の一本も折ってしまうほどの力をもっている。外見と中身の違いはこの世でいちばん激しいんじゃないかと思わせてくれる相手。
「・・・不二!?」
「はぁーい、不二です」
悪びれもなく、右手を上げて不二は返事をした。が、手塚が次の言葉を紡ぐより先に、女生徒の視線が不二へと集まる。
「やっぱり手塚はモテるんだね」
ふふっと不二は笑って教室中を見回した。何故こんなにも居残りをして勉強している女生徒が多いか、手塚とは違って彼には一目瞭然、すぐに感じ取ることができた。
「青学の時みたい」
くすくすと不二の得意な小首をかしげて笑う仕草を見せる。もちろん急な人物の登場でいい気持ちでないのは教室の生徒だ。
「ちょっと何よアンタ。この学校の生徒じゃないでしょ」
「そうよ、部外者は出て行きなさいよ!」
ここは普通不二を憐れに思うはずのところなのだが、手塚からすれば不二の性格を知っているがゆえに少女たちのために口封じをしたくなる。
「手塚がすきなの?ううーん、あんまりいい趣味とは思えないなぁ」
少女たちの罵声などものともせずに不二は俯く。金茶の髪で隠れて表情こそ見えないものの、きっとその下では笑っている事だろう。どうやって、彼女たちに心理攻撃を仕掛けようかと。
「彼ってば女にはだらしなくて泣かせた女の子は数知れず、ムッツリだから部屋のアダルトビデオとか雑誌とかすごいんだよ?今度見に行ってごら・・・」
「不二っ!嘘をつくな!!」
「・・・はぁーい。でもね、ムッツリなのは本当だよ?だってさ、手塚って●●●が好きみたいで、●●●●●のとき●●●に●●●ッ●してしかも●●・・・」
それに顔を青くするのは少女たち。
「やめてぇぇ!!」
「手塚君はそんな人じゃないっ!」
「だって現に・・・」
―――ゴツンっ!
「イタイ・・・」
不二の頭に小さなタンコブができる。不二は殴られたところを押さえて涙の滲む目で手塚を見た。
「言っていい事と悪いことがあるだろう!」
「本当の事を言えって言ったからその通りにしただけなのに・・・」
「だからと言ってそんな事をいうやつがあるか!」
「そんな事って俗に言われる事をしているのは君なのに?」
「お前な、たまには素直に反省してみろ!」
「どうして?僕は悪いことなんてした事がないよ」
痴話喧嘩を始める2人をただ唖然として見つめる女生徒達。もちろん不二に言い返したいのだが、不二は心理攻撃で攻めてくるというのを痛感してしまったので何も言えない。今は手塚で済んだものの、次は自分達が何かを言われるに違いない。そう思うと嫌でも口が開けなかった。
危ない、この子は怖い・・・。
「大体お前ここは東京ではないんだぞ、何をしに来た?」
「最低。それがわざわざ飛行機を使ってまできてあげた人にいう言葉?」
「それにしても今日は平日だろう」
「知りたい?」
不二はにやりと笑う。何かを企んでいる時の微笑というやつだ。こんなときの不二はひどく厄介だ。相手にしてやらなければまた怒り出すし、かと言って相手にすると普段の何倍もの労力を使わされる羽目になる。
「じゃあさ、僕を掴まえてよ」
「・・・・・・は?」
「は?じゃないよ。鬼ごっこしよう」
不二はクスクスと笑って、気が付けばもうドアの外に出ていた。完全にお遊びモードに入ってしまっている。
「俺はそんなことはしないぞ」
「いいよ、でも僕は勝手に逃げる」
手塚の好きな、でも最高に苦手な笑顔。挑発するような、我侭な少女の目。少年なのに、普通の少女よりもよっぽど誘う仕草には長けている。
「君は僕を、放っておけないでしょう?バイバイ」
言い出すと不二は廊下を走って出て行ってしまった。まただ、あいつの我侭は・・・。手塚ははあーっとため息をつくと廊下へと出て行く。
「ちょっと待ってよ手塚君!」
「なんだ?」
先を急がなければ、不二など意外に足が早いものだから見失ってしまうという焦りを感じながらも、手塚は律儀に振り返った。
「なんなのあの女の子!?」
「お・・・女?」
不二は、男だが・・・。だがいちいち説明している暇などない。そんな事をしていたら完全に見失ってしまう。だいたい不二は多分今に、倒れる。
自分には分かるのだ。この炎天下、ただでなくとも体の丈夫な方ではない不二のこと、急激な気温の変化に体がついていっていないだろう。それなのにあれは絶対に無理をしている。どんなに取り繕っても、自分には分かる。はやく行って休ませないと、倒れるだけでは済まなくなるだろう。
しかし、自分にとって不二はなんなのか。この間までは恋人と胸を張っていう事ができた。でも今は・・・。
『手塚、なんで九州に行くことを教えてくれなかったの!?』
もともと穏やかな方ではない、少なくとも自分にとっての不二は。怒ったところや泣いた所ばかり目にしてきて。自分は何をしていたのだろう?
だから配慮をした。ギリギリまで、腕のために九州へ行くことを言わずにいようと思った。
でも、所詮いずれば分かられてしまうのだ。
『仕方ないだろう』
『それだけ!?君にとって僕はそれ程度!?』
『俺にどうしろと言うんだ』
ついて来い、と?言える訳がないだろう。自分だって手放したくない。その言葉が口に出せないというものもある。でもそれ以上に、それは決して不二のためにはならない。自分の酷いエゴだ。それに今不二まで九州に連れて行ってしまっては、一体自分の留守の間に誰がテニス部の勝利を守るのだろう。
『お前には俺の代わりにシングルス1に入ってもらう』
『ああ、君はやっぱりテニスが好きなんだね。僕は、何も君の傍に置いてくれと言っているわけではないのに』
急激に不二の顔色が曇る。自嘲の笑みを浮かべ、不二は泣きそうな顔をして笑った。
『疲れたよ。もう別れて』
どうして、いつも自分は彼を幸せにしてやれないのだろう。不器用な自分の性格が呪わしかった。疎ましかった。
でも、この中に残っている気持ち、それは変わらない、好きだということ。
だから
「不二は俺の・・・」
自分の、たった1人の。
「俺の恋人だ」
手塚はそう吐き捨てると教室を飛び出した。広い校舎の中、教室などいくつもあれば、隠れる場所もたくさんある。でも自分には不二がどこにいるかわかっていた。
たとえどの校舎であろうとあれがいちばん好きな所。校舎の屋上。
きっとそこにいるに違いない。
先に飛び出した不二を追って手塚は走り出す。校舎を走るのなんか初めてだった。本当に、不二といると知りたくも無いのに知ってしまうこともたくさんある。例えば、人を愛するということ。それによって、苦しむということ、嬉しいという気持ちを味わうこと。
そして、こうやって違反をしてまで手に入れたいと思うこと。
4階まで一気に階段を駆け上がる。そして屋上のドアをわざと乱暴に開けた。その音で、自分が来たと分かるように。
「不二っ」
名前を呼んでみるが、返事はない。
「不二!?」
もう一度呼ぶ。でも返事はない。別に隠れているわけではないだろう。不二の事だ。そんなことはせずに“もう来ちゃったの?”と言うに決まっているのだから。
「はずしたか・・・」
次は、それじゃあどこにいけばいい?そう思い、階段の方を振り向いた時だった。
「先回りされちゃった」
階段の下から聞こえる少し高い声。下を見ると、階段を半分上りかけた不二が驚いた目で見ている。
「大変。はやく逃げないと」
「待て」
「嫌」
そして不二は急いで階段を駆け下りる。
仕方ない、できれば手荒な真似はしたくなかったが・・・。
「不二、動くな。5秒数えろ」
「5秒で追いつくのは難しいんじゃない?」
不二は笑いながら茶化すように言う。そして振り向いた時だった。
「すこし痛いぞ。」
・・・5秒。
その瞬間。
「ちょ・・・まさか手塚・・・」
手塚は3,4歩後ろへ下がった。そして助走をつけて走り出す。
4・・・
「危なっ・・・」
ふわりと手塚の足が宙に浮いた。階段の上から飛び降りる、そして。
3、2・・・
ドンっと周助の体に衝撃が走る。ただ、手塚が背中に右腕を回したおかげでさほど息ができなくなるほどの衝撃はなかった。
左腕で肩を掴まれる。
1・・・
「掴まえた」
0・・・秒。
手塚の中に、すっぽりと収まって、逆に何が起きたか理解できない。そのまま不二の体は背中に敷かれた右腕に引き寄せられる。
「誰が、5秒で追いつけないだって?」
「・・・本当に君って人は」
使えない左手の分、右腕に力が入る。しばらく触れていなかった、その金茶の髪に指を絡めて。
「言っておくけど、僕は怒ってるんだよ」
「知っている」
「だから君に謝ってもらおうと思って九州までわざわざ来てあげたんだよ」
「知っている」
「・・・ごめんね」
「悪いのは、お前じゃない」
「で?なんで不二は今日学校に来てないの?」
「九州に行った確率90%だな」
「なんだ、今ごろヨロシクしてるんだ」
「そうなるだろうな」
end
最後駆け足で終わらせたってバレバレですか?